「NASAアート」ピアース・ビゾニー著 堀口容子訳
1958年、人工衛星の打ち上げでソビエト連邦に先を越されたアメリカは、NASA(アメリカ航空宇宙局)を設立、宇宙開発に本腰で取り組み始める。
世界初の有人宇宙飛行を目指した「マーキュリー計画」にはじまり、現代にいたるまで、さまざまな成果を上げてきたNASAは、秘密主義的なソビエトと一線を画し、莫大な費用を投入して国家が進める宇宙計画の詳細をアメリカの納税者が得られるよう、多くのグラフィック資料を制作。アーティストらの力を借りて、各宇宙計画の使命や可能性をひと目で分かるように絵図化し、国民や政治家に未知なる宇宙計画がアメリカにもたらすであろう功績を示してきた。
本書は、アメリカの宇宙開発草創期からNASAをはじめ、外注企業によって描き継がれてきたこうしたグラフィックアートを紹介しながら、同国の宇宙探査の歴史をたどる豪華ビジュアルブック。
59年の秋には、マーキュリー計画のために実際の建造・飛行を想定したアメリカで初めての有人宇宙船の図が描かれる(写真①)。外観だけでなく、宇宙船の内部構造も図解したその絵には、姿勢制御装置や地平追跡装置など、搭載される機器やシステムまで詳細に描かれている。
しかし、1961年4月、「世界初」の有人宇宙飛行でアメリカはまたしてもソビエトに先を越されてしまう。それもわずか1カ月の差だった。
当時の大統領ケネディは、当初は宇宙への関心はさほどでもなかったが、国家の威信を回復するため、「60年代が終わるまでに」人類を月に着陸させ、安全に帰還させると公約した。
こうして動き出した「アポロ計画」では、月面着陸と地球への帰還に十分な燃料をあらかじめ積載するダイレクト・アセント法が採用され、ケネディが公約発表した年に、早くもNASAのエンジニアによって2種類のダイレクト・アセント法着陸船が描かれる。
さらに翌年、ロッキード社の画家らが描いた月着陸船の絵には大きな窓や、全面ハッチとドッキング部が一体化した装置、5本足の月着陸船が描かれる。後にグラマン社が落札して製造した月着陸船(イーグル号)の最終的な形は、この初期のデザインに多くを負っている(写真②)。
一方で、宇宙空間でのランデブーとドッキングなど、アポロ計画を完遂するための数々の実験を行う「ジェミニ計画」の詳細など、人類初の月面着陸がどのように発想され、現実となっていったのか、グラフィックアートで視覚的に知ることができる。
アポロ計画以降のスペースシャトル計画、ハッブル宇宙望遠鏡、国際宇宙ステーション、火星などの惑星探査や、次期有人宇宙船オリオン、そして最も近い恒星太陽に近づく太陽探査機パーカー・ソーラー・プローブを描いた一枚まで。200点以上のグラフィックアートを収録。
マーキュリー計画からわずか60年で、民間人が宇宙に行ける時代に突入した。この先、人類は無限ともいえるこの宇宙のどこまでたどり着けるのだろうか。
(グラフィック社 3850円)