病と禍の民俗学
「禍いの大衆文化」小松和彦編
コロナ禍の大襲来の下、子供たちの間ではアニメ「鬼滅の刃」が大ヒット。病・呪い・禍(わざわい)は3点セットで人々に取りつくのだ。
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人々はその昔から大きな災害や集団的な苦難に遭遇するたび、恐れ、敬い、幸を願ってきた。本書は日本を代表する民俗学者が後進のベテランたちを率いた論文集。京都の国際日本文化研究センターの共同研究企画として立ち上げられたもののようだが、学術的に難解な側面は少なく、一般読者にも興味深い内容になっている。
疫病に対しては近代と近代以前とではまったく違う。近代以前に薬といえば漢方薬程度しかなく、それゆえ民衆の心理はさまざまな形をとって表された。たとえば天然痘などの疫病は、悪霊や鬼のたたりとされ、キツネがついたなどと恐れられたという。
また退治された悪者は「もう二度としませんから命だけはご勘弁を」と許しを請うことがよくあるが、このような姿を葛飾北斎のような有名な絵師が描き残しているという。また、疫病は庶民の恐怖心をかき立てたが、人々はただ恐れるだけでなく、人形や玩具のかたちに表して、いわば疫病を「遊ぶ」心も持ち合わせていたらしい。
こういった精神が現代のコロナ禍でも発揮されたのが、妖怪のアマビエの絵をSNSで競う「アマビエ・チャレンジ」なのではないかと推測する。庶民は、いつの世もしたたかに生き抜いているのである。
(KADOKAWA 2750円)
「鬼と異形の民俗学」飯倉義之監修
アニメ「鬼滅の刃」の大ヒットは世代を超えて「鬼」のイメージが日本人に馴染み深いことを証明した。著者は勤務先の大学の研究室が全国で買い集めた妖怪グッズであふれているという民俗学者。本書は古今の日本の神話や昔話に登場する鬼や妖怪に加え、彼らと対峙する呪術者や異能者なども紹介する。
日本人が鬼の存在を最も身近に感じていたのは平安時代だったようだ。「伊勢物語」その他にも絶世の美女が鬼に食われてしまう話が多数出てくる。著者によると、これらの話の陰には、当時の朝廷や貴族社会のスキャンダルの存在があったという。さしずめ、今日の「眞子さまご成婚」騒動などは、世が世ならば鬼にさらわれたお姫様の物語になっていたところだろうか。
身の毛もよだつ鬼とは「人間の心の闇に巣くう『魔』の形象化」と著者は説く。人心が乱れ、不安定になると鬼が出る。ならばコロナ禍と政治の乱れに挟まれた現代は鬼だらけではないか。
(ウェッジ 1540円)
「安政コロリ流行記」仮名垣魯文著
幕末、ペリー来航で鎖国攘夷と開国で国論が二分された安政年間は、3.11震災からコロナ禍へ続く現代と似ているらしい。安政2年には江戸を直撃するマグニチュード6.9の直下型地震が起こり、3年後にはコレラの大流行で多数の犠牲者が出たのだ。本書はこの安政年間の世相を鋭い風刺精神で活写した仮名垣魯文の見聞録。
原文に総ルビをふり、図版を多数挿入したうえで、解説付きの現代語訳まで収録されている。よく間違われるが、本書によると「コロリ」はコレラの別名ではないのだそうだ。日本でコレラが流行する前に多数の犠牲を出したはやり病が「コロリ」と呼ばれたことから混同されたらしい。「狐狼狸」(ころり)と当て字をされたこともあってコレラは動物のイメージが強くなるが、本をただすと外国からの侵入者の連想が働いている。
トランプ前米大統領が「中国ウイルスだ!」と顔を引きつらせたのも歴史の轍を踏んでいるだけというわけだ。
(白澤社 1980円)