「海獣学者、クジラを解剖する。」田島木綿子著
海獣とは海の哺乳類のことで、クジラ類(クジラ、イルカ、シャチ)、海牛類(ジュゴン、マナティ)、鰭脚類(アシカ、オットセイ、アザラシ、セイウチ)の3つのグループに大別される。海で暮らしているため調査自体が難しく、生態や進化について未知の部分も多い。そこで海岸にストランディング(漂流、座礁)した死体の解剖が極めて重要となる。著者は国立博物館に20年以上勤務し、その間に2000頭を超える調査解剖に当たっている海獣学者。本書は、知られざる解剖の苦労話を織り交ぜながら海の哺乳類の魅力と不思議な生態を紹介したもの。
まず驚かされるのは大型クジラの大きさ。最大の哺乳類であるシロナガスクジラともなると、心臓だけでも高さ1.5メートル、重さ200キロ。著者が解剖したマッコウクジラは、大動脈の太さが消防車が消火に使うホースほどで、内臓が収められている胸腔や腹腔も4畳半ほどもあった。そのため肋骨や椎骨1本運ぶのもひと苦労。何より大変なのは臭い。ストランディングで上がった死体は刻々と腐敗が進み、全身異臭まみれでの作業となる。
作業中は夢中で気にならないというが、問題はその後。遠出して宿泊となると、念入りに消臭した上で風呂場に行っても、体に染みついた臭いが湯気に乗って脱衣所に拡散し異臭騒ぎとなることもままある。
クジラやイルカが打ち上げられるのは珍しいようだが、日本国内だけでも年間300件ものストランディングがあり、中には集団でのストランディングもある。なぜストランディングが起こるのか。これまで分かっているところでは、病気や感染症、餌の深追い、海流移動の見誤りなどがあり、その他、冷水塊での閉じ込め説、地震説、磁場説、寄生虫説などもあるが本質的な原因はつかめていないという。
近年解剖学者の数が減り絶滅危惧の危機にさらされていると著者は嘆く。先頃話題になった「キリン解剖記」も解剖の面白さを伝えているが、これを機に、解剖学に興味が高まらんことを願う。 <狸>
(山と溪谷社 1870円)