文庫で読む男と女の物語
「雨心中」唯川恵著
恋愛小説の醍醐味といえば、激しくドロドロとした愛憎劇から運命に弄ばれる切ない恋、そして真っすぐな純愛まで疑似体験できること。今回は、心中を題材にした大人の恋愛から坂本龍馬の悲恋まで、さまざまな愛の形が楽しめる5冊を紹介しよう。
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朝7時。芳子は古いアパートの台所で朝食の支度を終え、周也を起こす。どんな仕事も長続きしない彼を、優しくなだめながら。
「ねえさんには迷惑かけてばっかりだな」という周也だが、ふたりは血のつながった姉弟ではない。養護施設で暮らしていた芳子が、ただひとつの持ち物だったぬいぐるみをなくしてしまった頃に施設にやってきたのが、継父に虐待を受けていた周也だった。
それから15年以上、ふたりの間に体の関係は一切ない。家族でもなければ、恋人でもない。しかし芳子は理髪店で働く傍ら、周也が女にだまされてつくった借金返済のため、夜はデリバリー嬢として体を売っている。共に暮らせる今の生活が、何物にも代えがたい毎日だった。
ところが、周也が闇社会の男を刺すという事件を起こしてしまう。芳子が選んだのは、周也との逃避行だった。死なずして堕ちていく、男女の心中を独特の視点で描いた異色の恋愛小説。
(集英社 858円)
「格闘」髙樹のぶ子著
芥川賞をはじめ数々の文学賞を受賞してきた著者による傑作恋愛小説。
物語は、作家である「私」が“何十年も前に書いた惨めな失敗作”を読み返すところから始まる。作品のタイトルは「格闘」。彼女にとって唯一の成功と言えるのは、全8章の章立てに、出足払、双手刈など柔道の技を置いたこと。技はそのまま、取材する者とされる者の攻防をとどめていたからだ。
当時まだ若かった「私」は、柔道家の羽良勝利、通称ハラショウのノンフィクション作品を書くため取材を申し込む。当時ハラショウは全日本の体重別選手権で優勝し、変幻自在に試合に挑む不気味さでマスコミからも注目を集めていた。
さらに、犬に噛みついたり、寺のイチョウの木を根元から切り倒すなど奇人変人の噂もあった。取材も難航し、巧みにかわされて翻弄される「私」。しかし、負けずに食らいつく日々の中、その魅力にからめとられていくのだった。
(新潮社 825円)
「君を見送る夏」いぬじゅん著
「俺と結婚して欲しい」。龍介にプロポーズされた幸せなあの瞬間から1年。結婚話は遅々として進まないままだった。
父が経営する葬儀社で働く未来。いつ何時葬儀の依頼が入るか分からず、忙しい日々を送っている。アプリ会社を経営する龍介もまた多忙だったが、加えて自由人でもあり多趣味。マラソンに読書会に料理教室と、何かしらにハマっていた。今は登山に夢中のようで、急きょ山に行くことになったとデートをキャンセルされてしまう。
ところが、登山をしているはずだったその日、偶然にも病院に入院している龍介を見つける未来。山で転んで骨折したのが恥ずかしくて言えなかったと龍介はいうが、違和感をぬぐえない。しかも、リハビリの名目で転院し、会えない日々が続く。さらに、友人から龍介と女性との目撃談を聞かされる。
「事実は見えないところにある」という言葉が印象的な純愛物語である。
(祥伝社 759円)
「弱法師」中山可穂著
能の演目をモチーフに激しい恋情を描く本作。
「弱法師」は讒言を信じて我が子を追放した男が、盲目となり物乞いの身となった息子に出会う演目。本作では、義理の父と息子、その母親が登場人物となっている。
医師の鷹之が朔也と出会ったのは、彼が8歳の頃。母親の映子に手を引かれて診察室にあらわれたときの衝撃を、鷹之は今でも覚えている。最初に見とれたのは映子にだったか、朔也にだったか。それほど際立って美しい親子だった。
朔也の脳には腫瘍があり、きわめて悪性度が高く、視神経を侵したのち死に至ることは明白だった。鷹之には家庭があったが、映子を支えるうちに体の関係に溺れて離婚。彼女らと家族になることを決意する。一方、映子は「あの子は時々、女の目であなたを見る」と言うようになる。鷹之自身も朔也に義理の息子以上の感情を抱くようになり……。
ほか、「卒塔婆小町」「浮舟」を収録した現代能楽集3編。
(河出書房新社 880円)
「龍の袖」藤原緋沙子著
坂本龍馬が愛した女性といえばお龍が有名だ。しかしもうひとり、千葉佐那という許嫁がいたことをご存じだろうか。
北辰一刀流千葉道場主・千葉定吉の娘として誕生した佐那。幼い頃から父の教えを受け免許皆伝の腕前だったものの、佐那の役割は女子供への指南。生ぬるくて鬱憤がたまる日々だった。
あるとき佐那は面と胴をつけて女と分かるのを防ぎ、男子の道場に足を踏み入れた。すると、6尺はありそうな背の高い男から手合わせを申し込まれる。
「わしは今日入門した者じゃき。おぬしが一番強そうじゃと見た」
相打ちではあったものの、佐那は男の一撃の重さに一瞬ひるみ、田舎者と引き分けたことが悔しくてならなかった。いつかもっとはっきりとした形で決着をつけなくてはと心に誓う。その相手こそ、坂本龍馬だった。やがて惹かれ合うものの幕末の動乱に引き裂かれる2人。龍馬にまつわるもうひとつの愛の物語だ。
(徳間書店 803円)