不安を抱えた人物ナポレオンを描いた“評伝”映画
「ナポレオン」
歴史上の人物を生涯のまま描くのが「伝記」、特定の横顔に焦点を当てたり、なんらかの評価を加えて人物像を描くのを「評伝」という。
そのひそみにならえばこれは“評伝映画”だろうか。今週末に封切り予定の「ナポレオン」である。
フランス革命下、無名の一士官が王党派鎮圧の功労者から末は皇帝にまで上り詰め、最期はセントヘレナの孤島で果てる。歴史上の英傑はたいてい奇矯な人物だが、ナポレオンも例外ではない。リドリー・スコット監督のねらいは、傲岸不遜を超えて極度に偏った人間、心の奥底に硬いしこりのように不安を抱えた人物を描くところにあったのではないかと思う。しかも当の本人は自分の不安にまるで無自覚だ。
そのさまは、現代のいわゆる発達障害に似ている。いやむしろそのものかも。少なくとも映画のナポレオンはそういう男に見えるのだ。
特筆すべきはこの人物像を体現した主演ホアキン・フェニックスの存在感。予想にたがわぬ出来栄えで終始目が離せない。加えてアウステルリッツにワーテルローと、合戦の場面もこけおどしのCGとは無縁の重厚なスペクタクルで“歴史作家”としてのスコットの腕が十全に発揮された。
とはいえ、“評伝”はあくまで解釈の産物だ。古今、ナポレオンに深く魅せられた人々は洋の東西を問わないが、それは彼の人物像が特定の一面に限らないからでもある。
オクターヴ・オブリ編「ナポレオン言行録」(大塚幸男訳 岩波書店 924円)を読むとそれがよくわかる。ナポレオンは傑出した軍略家であるほかにも、政治家、文人、またフランス人らしく(先祖はイタリア人だそうだが)箴言をいくつも残した人でもあった。「行政に関しては、経験がすべてだ」とはその知られたひとつ。机上の理論でなく現場の、現実の経験。まさに至言だろう。 <生井英考>