「クマにあったらどうするか ─アイヌ民族最後の狩人 姉崎等」姉崎等 著、片山龍峯 聞き書き、畠山泰英 編/ちくま文庫(選者:稲垣えみ子)
22年前の警告が今、リアルに響く
「クマにあったらどうするか ─アイヌ民族最後の狩人 姉崎等」姉崎等 著、片山龍峯 聞き書き、畠山泰英 編
約8年前にこの本を読んだのは、まさに「クマにあったらどうするか」を知りたかったから。新聞記者時代に放射能汚染に苦しむ福島で、山菜採りを生業とする方に同行取材させていただいたことがあり、その際「クマにあったら、すぐ荷物を捨てて叫びながら逃げて」と真顔で注意され、えっ、リアルにそんな危険が? と人生で初めてクマのことを真剣に考え、それがずっと頭にあったので、本屋で見てすぐ手に取ったのだ。
で、あまりに素晴らしい内容だったので会う人ごとにお薦めしていたのだが、「クマごと」ゆえか、どうも反応が薄く、だが最近、そんな私の宣伝と関係なく、この本が売れていると知る。各地でクマ被害が増え、クマにあったらどうするかを皆が真剣に考える時代になったのである。
動機はともかく、この本が多くの人に読まれていることは素晴らしいことだ。クマにあったらどうするかが極めて具体的に書かれているのはもちろん、この本の神髄はその先にある。
語り手の姉崎さんは、12歳で父を亡くし、一家を養うため狩猟を始め、22歳からクマ撃ちを始めた。師もなく一人でクマを追う姉崎さんは、次第にクマになりきって山を自在に歩くようになる。クマが登っていくなら自分も登れるはず、クマが食べているなら自分も食べられるはず。「クマは私のお師匠さん」。事実、クマの行動や気持ちを知り尽くしているからこそ60頭ものクマを捕り、生活を支えることができたのだ。その不思議で豊かな関係がヒリヒリするほどかっこいい。
そんな姉崎さんの語るクマの生態は、我らの思い込みとは違うものだ。小食で雑食だが、むしろ植物を好んで食べ、本来は人を襲うような動物ではないという。そして、実は人のすぐ近くの里で暮らしていて、でもクマは、道具を使ってさまざまなことをやってのける人間を観察し恐れているので、なるだけ人と遭遇しないように、遠慮しいしい生きているというのだ。
それがなぜ近年そのバランスが崩れたのかの理由が実に根深く、コトはクマ問題では終わらないであろうことに愕然とさせられる。「生きているものには、それぞれの働きがあるんです。人間だけが生きればいいと考えていると、人間も最後にはひどい目にあって死んでしまうと思うんですよ」。当書が刊行され22年。亡き姉崎さんの警告がリアルに響く今である。 ★★★