「ハーレムの熱い日々」吉田ルイ子著
「ハーレムの熱い日々」吉田ルイ子著
「盗み撮りなんかしても、なんの意味もない」と教えてくれたのは写真家の鬼海弘雄さんだ。聞いたのはたぶん下町の高架下の赤提灯だったと思う。たぶんサシで昼酒を飲んでいたときだったと思う。ぜいたくな時間だったなぁ。
ほろ酔いの鬼海さんは山形なまりで機嫌よく吠えた。「写真にはね、撮った人と撮られた人の関係が写るんだから。隠れて撮ってもしょうがないっ」。写真に写るのは具体的な「人物」じゃなくて抽象的な「関係性」だなんて、それまで考えたこともなかった。
本書にも「私は隠し撮り、あるいは盗み撮りはやらない主義だ」の一文がある。そのあとに「が、ただ一度だけやったことがある。(中略)それは一九六八年四月、マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された翌日だった」と続く。
著者の吉田ルイ子さんは、60年代のニューヨーク、黒人文化の中心地ハーレムに暮らしたフォトジャーナリスト。当時のハーレムにあった底辺の暮らしの喧騒と匂いがつづられて、あぁこれは今マンハッタンの125丁目に行ったって決して味わえない風景だと心がざわつく。麻薬、ポン引き、非嫡出子たち、暴動……。若き日のルイ子さんが撮影した写真に写っているのはつまり、彼らとの関係性だ。シャッターを押す側にあった葛藤や怒りや憧れを文章に残してくれて本当によかった。
ジャーナリストの伊藤詩織さんによる巻末エッセーも読み応えたっぷり。ルイ子さんの「熱い日々」から半世紀のちに、詩織さんもまたニューヨークでジャーナリズムを学び、現代社会を、虐げられた人をどうまなざすかを自問していた。熱いぜ。
(筑摩書房 990円)