「憧れ写楽」谷津矢車氏

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「憧れ写楽」谷津矢車著

 今年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公・蔦屋重三郎は江戸中期の辣腕出版プロデューサーで、東洲斎写楽を世に出した人でもある。写楽は斬新な役者絵で世間を沸かせたが、わずか10カ月で姿を消してしまう。この謎多き絵師は作家や研究者の興味をかき立てるようで、「写楽正体もの」は数多い。傑作ぞろいの先行作品群に新しい切り口で挑んだのが本作だ。

「きっかけは、10年ほど前に『蔦屋』を書いたことですね。蔦屋重三郎を主人公にした小説ですが、話が複雑になるので写楽には一切触れませんでした。それ以来ずっと、写楽を宿題のように抱えていたんです。そうしたら、あるとき思いついちゃったんですよ、まだ誰もやっていない方法を」

 本作の主人公、鶴屋喜右衛門は蔦屋より一回り年下の30代後半で、父から老舗版元を受け継いでいるが、経営者というより編集者タイプ。写楽にまた筆を執らせたいと、写楽とされる猿楽師、斎藤十郎兵衛に、かつてのヒット作の肉筆画を依頼する。ところが、待てど暮らせどできてこない。催促に出向いた喜右衛門に、十郎兵衛は告白する。〈あの絵は某が描いたものではない〉。そんなバカな。写楽はもう1人いる?

「写楽の図版をいくつも見ていると、割と類型的な絵もあって、こういうものも描く人なのか、と。それで、150枚近い絵のうちの6枚だけを本物の写楽が描いたという設定にしてあります。とにかくミステリーを意識して、読者をはめることに心血を注ぎました(笑)」

 どうしても写楽と仕事がしたい喜右衛門は、もう1人の写楽探しに乗り出す。名だたる戯作者、絵師、歌舞伎役者を訪ね歩いて手がかりを探すが、写楽の姿は見えてこない。真相を知っているはずの蔦屋がなぜか写楽探しを妨害し、謎は深まるばかり。読者は喜右衛門の後について寛政期の江戸をタイムトリップしながら、謎解きの楽しみをたっぷり味わえる。

 しかし物語は歴史ミステリーでは終わらない。中年にさしかかった経営者、喜右衛門の焦燥が描かれる。書き手と切磋琢磨して話題作を刊行し、世間をあっと言わせたい。だが冒険はままならず、店で幅をきかせているのは無難に売れる実用書。これでいいのかと、理想と現実の間でもがく。喜右衛門の苦しみは時代を超えて、現代の中年世代にも響くに違いない。

「喜右衛門は蔦屋の背中を見て育った世代で、蔦屋は憧れの先輩なんですよね。本作には裏テーマがありまして、それは蔦屋から喜右衛門への技術の継承なんです。編集者と作家の向き合い方から本の作り方、売り出し方まで、出版業界にはさまざまな技術の継承があります。蔦屋の魂を後の世代が受け継いで、そのバトンによって今の出版業界が成り立っているんだということを書いておきたかったんです」

 蔦屋はなぜ写楽の正体を隠したのか。真相を知ったとき、喜右衛門の版元魂が震える。江戸の出版業界の内側で展開する物語は、最後に思いもよらない写楽の正体を導き出した。答えは読んでのお楽しみ。 (文藝春秋 1980円)

▽谷津矢車(やつ・やぐるま) 1986年、東京都生まれ。2012年に「蒲生の記」で歴史群像大賞の優秀賞を受賞。翌年「洛中洛外画狂伝 狩野永徳」でデビュー。18年に「おもちゃ絵芳藤」で歴史時代作家クラブ賞の作品賞を受賞。ほかの作品に「廉太郎ノオト」「吉宗の星」「ええじゃないか」「ぼっけもん 最後の軍師 伊地知正治」「二月二十六日のサクリファイス」など。

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