タモリも「おそ松さん」も 脈々と受け継がれる赤塚イズム
絵の下地作りのために私は東海道の要所をリポートすることになった。「平塚の街並みです」と写真を添えて説明すると、赤塚氏はすでに構想が浮かんだのか、「面白い」とほほ笑んでいた。しかし、赤塚氏は意識不明で再入院。再び筆を持つことはなかった。
「徒弟世界では弟子が頭角を現すと、出る杭は叩くがごとく、それ以上に出ないようにする師もいた」という話を聞く。
赤塚氏は弟子の出世を手伝い、北見けんいち氏のように名を成すことを自分のこと以上に喜んだ。それはタモリの「わたしもあなたの数多くの作品のひとつです」という名弔辞につながっている。赤塚氏とキャラクターは、弟子や仲間たちの間で脈々と受け継がれている。
(ジャーナリスト・二田一比古)