稽古後は仲間と激論 流山児祥さん「演劇と酒とは不可分」
アングラ劇団全盛期の60年代後半に演劇の世界に入って以来、時には喧噪=ゲバルトも辞さない過激な表現活動で注目を浴びてきた流山児祥さん(68)。プロデュース・演出作品は計350本を超え、海外公演も約15カ国・地域にのぼり、「アジアでもっとも有名な演出家」と呼ばれている。そんな流山児祥さんの演劇的酒人生とは。
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酒の原点は三井三池炭鉱があった生まれ故郷の熊本県荒尾市。当時は結婚披露宴で三日三晩飲み明かすような土地柄だったから、何かというと酒盛りが始まったし、大酒飲みが多かった。
親父も強かった。ただ、炭鉱の職員から炭労(日本炭鉱労働組合)副委員長に選ばれ、後に総評副議長にもなったので、ずっと東京に単身赴任。家に帰るのは月に1回あるかないか。俺が小学校高学年のころだから1950年代後半、当時としては珍しかったウイスキーを手土産にして帰省してたのを覚えてる。
その後、親父の転職で中学3年の時に千葉県流山市に転居して進学したのがバンカラで有名な東葛飾高校。当時は先生も豪気で、卒業式が終わったら率先して俺たち教え子と寿司屋で酒盛りしてた。もちろん親たちも公認。それが許された時代だったんだ。