海外でサウンド再評価 小室哲哉の絶頂と凋落、そして現在
最盛期にはプロデュース曲の年間総売上枚数が1500万枚超という驚異的なセールス記録をつくった小室。音楽業界では日本の歌謡界、Jポップにユーロビートやダンスミュージックの要素を取り入れて定着させた第一人者とされている。だが、この旋風は00年ごろ急に失速し、泡と消えた。小室は最近の「NIKKEI STYLE」のインタビューで当時をこう述懐している。
■宇多田ヒカルのデビューに衝撃
〈ちょうど98年頃からいろいろなものが予想を上回るスピード感で変化していった。(中略)デビューしたばかりの宇多田ヒカルさんの衝撃がすごかった。当時の僕は、憧れていた海外のミュージシャンの力も借りながら、見よう見まねでできる限りのことをやって、だいぶ近づけたかなという時期でした。でも、そうした枠には収まりきらない子が出てきたんです〉
時代を超えて歌い継がれる名曲も少なくないが、その当時の制作を「見よう見まね」と総括した本人の告白は衝撃的。音楽関係者が現在の小室を語る。
「ブーム終焉とともに、絶頂期に推定23億円とされた所得は激減、前妻への億単位の慰謝料などで借金16億円などと報じられました。KEIKO夫人の実家は有名な料亭なのですが、そこにも取り立てがあったそうです。さらに著作権を巡る5億円詐欺事件で逮捕され、有罪が確定した。KEIKO夫人がくも膜下出血で倒れるなど、苦境続きでしたけれど、音楽活動は続けています。絶頂期に比べ、時間の余裕もできて、ファンとの触れ合いを多く持つようになりましたね」
小室は来年、還暦を迎えるが、その評価はまだ定まってはいない。