女遊びが肥やしにならず 桂文枝“愛人醜聞”で汚れゆく晩節
「昔は世襲が多く、いつも同じ一座や顔ぶれでは、見識は広がらない。そうしたなかで、浮気やら愛人を持つことも、人生経験になるという拡大解釈がなされていったのでしょう。付き人や弟子たちが本妻を1号、愛人を2号、3号と隠語で呼んで、師匠の送り迎えをしていたそうですから、愛人も別宅も半ば公認。本宅は生活費を入れてくれるならば、と渋々認めていたようです。妾を囲うことは、一人前の男の証し。いわゆる旦那の特権でもあった江戸時代からの名残もあったのでしょう。もっとも、住居を用意して生活費を工面し、親の面倒も見て、子どもができたら認知するといったところまで丸抱えが当然だった。それが、時が経つにつれて次第にそうした責任の部分だけないがしろになって、風俗遊びや好き勝手やるための方便になっていったようです」(演芸関係者)
そうした風習を都合よく踏襲し、景気の良い頃は金持ちのタニマチも存在するなど好き放題やってきたのが文枝らの世代だというわけだ。芸能リポーターの城下尊之氏が言う。
「今回の文枝師匠の対応は、昭和のスターの特徴だと思います。ご自分に都合のいいことは楽しくしゃべってくれるのですが、そうじゃないと、全くしゃべってくれない。文枝さんでいえば、女性に訴えられていたことがあり、ご自宅前で朝方、マイクを向けると『難儀してまんねん。全く分からへんから、弁護士の先生に頼んでます』などと、にこやかに答えてくれたのを覚えています。このときは後ろ暗い部分がなかったのでしょう。萬屋錦之介さんもそうです。心配された体調のことや舞台のことを伺うと、立ち止まって冗舌にしゃべってくれましたが、ちょっとご本人に都合の悪い質問をこちらがすると、ぴたっと表情が消えて、スタスタと何も言わずに立ち去ってしまわれた。松方弘樹さんは、都合の悪い質問にも堂々としゃべってくれるのですが、事務所の人が入って来て話を遮ってしまう。渡哲也さんの会見では、何でもしゃべってくれた会見後に石原プロの方がどこそこのコメントは報道しないようにと言っていました。それがまかり通った時代だったんですね。今ではとても考えられませんが。そういう時代でしたから、スターは自由でいられたのです」