志ん朝師匠がニコッと「ばあさん、のぶおが帰ってきたよ」
入門が許され、付けられた前座名が林家のぶお。
「いくらなんでも芸名としてはおかしいでしょ。1年後におかみさんを通して改名を願い出ました。それで、林家九蔵です」
九は「止め」という意味で、最後の弟子にするとの意思表示だった。
「それなのにあたしの後、上蔵、時蔵、正雀と3人も取ったんですから、師匠もいい加減ですよ。当時、稲荷町にはよく新聞記者がやってきて、物知りの師匠にいろんな質問をする。それを一緒に聞くのが楽しみでしたね」
年長者に気に入られることを業界の符丁で「はまる」と言うが、九蔵はよくはまる前座だった。愛嬌があって気が利くので、先輩師匠連、業界の関係者から「きゅうちゃん」と呼ばれ可愛がられた。そのことは私が好楽の兄弟子、春風亭柳朝の一代記「江戸前の男」を書いた時、周辺取材をしてわかった。口うるさい柳朝が九蔵を大変可愛がったのである。
「ただ、正蔵師匠はよくしくじりました。師匠が亡くなるまでの16年間で23回も破門を言い渡されましたから」