浅越ゴエさんが振り返る お笑い界を離れていた時の思い出
「R―1ぐらんぷり」優勝、ソフトバンクモバイル主催「S―1バトル」2年連続チャンピオンの実力派。コントユニット「ザ・プラン9」メンバーとしても活躍している浅越ゴエさん(44)。一時、お笑い界を離れていた時があった……。
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これは住友不動産販売に入社して間もなく、歓迎会をしていただいた時の写真です。当時25歳。配属されたのはJR大阪駅前の梅田営業センターで、中古物件の仲介をしてました。
立命館大法学部で学んでいた90年代半ばは就職氷河期の真っただ中。少しでも就職に有利になるようにと資格取得が注目されていて、3回生の時に宅地建物取引主任者の資格を取ってたんです。
ただ僕が選んだのはお笑いの道。吉本興業のタレント養成所・NSC大阪校に入学して、卒業後はコンビを組んでいました。ところが、なかなか芽が出ない。1年目のギャラは全部で数千円。2年目でも年収27万円ほどでしたから、コンビニのアルバイトで生活費を稼いでました。住んでいたのはJR京橋駅から徒歩10分ちょい、家賃2万7000円のオンボロアパート。毎月カツカツですよ。それでも僕らなりに頑張ったつもりですが、とうとうコンビは解散。先行きが見通せなくなりました。
■住友不動産販売
そんなある日、バイト先の店長が「宅建取引主任者の資格を持っとるんなら」と住友不動産販売に勤めている同級生を紹介してくださった。それが入社後に上司となる梅田営業センター長。正式な入社試験をちゃんと受け、晴れて入社が決まりました。
初めてのサラリーマン生活は新鮮でした。駆け出し芸人として最低限の礼儀やマナーは身につけていたつもりでしたが、いざ会社の名刺を持って仕事をするとなると、個人プレーではなくなります。言葉遣いから電話応対、挨拶まで、すべて一からやり直しって感じ。
そして、お客さまそれぞれの希望や条件などを考慮して、最適なプランや物件紹介をしなければなりませんから、相手の話をきちんと聞くことが身につきました。業務時間はまちまち。お客さまのご都合に合わせるため、打ち合わせや提案、物件案内はどうしても夜や週末。定休日は火・水でしたし、一般的なサラリーマンとはかなり違う生活でした。
サラリーマンになって何がよかったか。それは定額のお給料が毎月決まった日に入ることです。休まずに出勤して平均以上の成績であれば、生活は安定してます。
もちろん売り上げ目標が設定され、それなりにたくさん汗をかかなければなりませんが、食えなくて困るってことはないです。それが精神的にも一番うれしかった。半年もしないうちに、このまま社員でいたらマンションか戸建て、余裕があれば車も買って……って青写真を頭の中で描いてましたもん。