映画史に名を刻む…思想でなく役柄で生きた俳優・津川雅彦
日活から松竹に移った時期の代表作が、先の松竹ヌーベルバーグの一連の作品だ。太陽族映画の屈折した甘ったれ坊主が政治を語り、社会の底辺をさすらうニヒルな学生に転じていた。
「ろくでなし」では、金持ち学生(川津祐介)の配下となりながらも絶えず獲物を狙う動物のように牙を研いでいた。年上の女性(高千穂ひづる)とは、色悪のような風情でぶっきらぼうに付き合ったりする。筆者はそんな女との冷めた接し方に憧れたものだ。整った横顔に、太陽族映画とは一線を画す反ブルジョア、反体制の刃がギラッと光る。このスタイルが何ともいえず格好良かった。
その後では、60年代から70年代の東映ヤクザ映画、80年代以降の伊丹十三監督作品などが、彼にとっての俳優の主戦場になるだろうか。熟達の演技力が加味され、安定した俳優の道を歩み始めた。風貌も若いときのようなとがった二枚目から、中年男の渋みをまぶしつつ凄みも増したものに転じていった。その過程で出合った作品が、伊藤俊也監督の「プライド 運命の瞬間(とき)」(98年)の東条英機の役であったと思う。
「プライド――」を見たとき、津川雅彦に本物の東条が乗り移ったかと感じて怖気を震った。表面上はともかく、津川さんは「思想は関係ない。右も左もない」という考えの持ち主だったと関係者から聞いているが、東条の役では、自身でセリフを書き加えるほど熱を入れたのは事実である。作品的な是非はともかく、本作の津川さんには若いときの太陽族映画や松竹ヌーベルバーグ時代とは違って、どこか高い地平へ飛び立ったかのような演技のはじけ方があったように思うのだ。このはじけ方に、ひょっとしたら演技者の未踏の領域、尽きぬ魅力の源泉があるのかもしれない。俳優は思想では生きない。役柄で生きると、いってしまいたい。