「M-1」なければ辞めていた 審査員受諾はナイツ塙の恩返し
実際、中川家や博多大吉らが、「M―1」の審査員をやると、自分たちが漫才をやるときにハードルが上がってしまい、ウケにくくなったという話をしている。そもそも大げさではなく、出場者の「人生を決める」ことになってしまう大きな責任がある。
数値化することのできない漫才に無理やり点数をつけるのだ。現役であればあるほど、やりたくないというのは、ある意味当然だ。けれど、塙は「ぜんぜん受ける」と言い、実際に受けた。「将来を担う天才ボケを発掘したい」と。
ナイツの芸人人生は「M―1」と共にあったと言っても過言ではない。コンビ結成の01年に「M―1」も産声を上げた。自分たちは面白い。そう思っていても、それを証明してくれる場所はなかった。けれど、「M―1」ができたことで自分たちの“位置”が分かるようになった。
ナイツは「M―1」に挑戦し続けて8年。ようやく決勝の切符を手に入れた。「M―1がなかったら芸人を辞めてたかもしれない」と塙は言う。
「M―1のお陰で、モチベーションを維持できたし、新しいネタも作ることができましたから」(同前)
「M―1」で“浅草の星”というキャッチフレーズが生まれ、浸透し、自分たちをプロデュースできるようにもなった。だからきっと、塙が他の芸人が受けたがらない審査員を引き受けるのは、「M―1」への恩返しなのではないだろうか。