芸は盗むもの 田原俊彦からタッキーに受け継がれる“伝統”
その裏にあった、タレントの努力には、あまりスポットが当てられていない。
12月5日、少年隊の錦織一清はTBSラジオ『たまむすび』で、田原俊彦の『悲しみTOOヤング』(81年発売)を流した後、合宿所で寝食を共にした先輩について話した。
〈ものすごく練習する人なんです。それ見て、僕も刺激を受けたんですけど。(新曲の)振り付けをもらった夜から明け方まで、ずっと鏡の前で、ずっと自分のモノになるまで練習が必要だ、とずっとやる人でしたね。何も考えずに動けるようになるまで、慣らして動けるようになるまではやらなきゃいけないんだと僕は教わったから、トシちゃんに〉
田原は自らの努力について語ることがないため、間近にいた人間にしかわからない逸話だ。
錦織にもこんなエピソードが残っている。A.B.C-Zの戸塚祥太が雑誌の連載で、事務所の人から聞いた錦織の合宿所時代について綴っている。
〈仕事が終わって帰ってきたら、疲れてるからすぐ休みたくなるだろう? でも錦織くんは皆が寝静まってもずっと鏡の前で踊っていて。俺達もときどき付き合ったけど、「もう十分でしょ」って思っても、錦織くんは「衣装によって見え方が変わるから」って、半袖から長袖に着替えて、そこからまたひたすら踊り続けていた〉(『ダヴィンチ』14年7月号)