疲労と人間不信…父の死も重なりハワイの病院で迎えた元日
高校では上履きを盗まれた。教室の机の引き出しに入れておいたノートがなくなったときはほとほと困り果てた。中間か期末か覚えていないけれど、ノート提出さえしていれば留年はないはず。そう考えていた、最後の手段だったのに……。
実家近くにアパートを借りるようになると、父の遺骨と遺影の前に置いてある鍵を盗まれ、アパートの部屋に入られた。立派な不法侵入であり、泥棒、窃盗だと思うけれど、警察に相談に行くと、こう言われた。
「そういう商売ですから、仕方ないね」
近所の人は「誰かお宅に入って、ジャンパーを持っていったよ」と教えてはくれるものの、通報もしてくれなかった。ファンの方の車に母がひかれたこともある。
それでも頑張らないといけない状況に追い込まれていた。そんな中、唯一良かったと思うのは父が私の活動をとても喜んで応援してくれていたこと。ソロデビューの「冬のオペラグラス」のリリースまで約1週間というクリスマスイブに父は逝ってしまったけど、番組で歌う私の姿を見ていてくれた。