三浦大知ら沖縄出身者がライジングの“二度化け”を後押し
芸能界には「二度化け」という言葉がある。一度ブレーク後、低迷するも再度ブレークすることを意味する。水谷豊は1970年代後半、日本テレビ系ドラマ「傷だらけの天使」や「熱中時代」でブレーク。その後、脇役に甘んじることも多かったが、2000年から始まった「相棒」(テレビ朝日系)が水谷を主役として蘇らせた。現在放送中はすでにシーズン17を数える高視聴率ドラマになり、水谷は二度目のブレークとなった。
似たような現象が歌謡界にも起きている。昨年、「U.S.A.」の大ヒットで歌謡界に一大旋風を巻き起こしたDA PUMP。デビューは1997年。「沖縄アクターズスクール」出身のダンスユニットとして活躍するも、メンバーの離脱、入れ替えなど紆余曲折を経て現在の7人体制になったのは2014年。昨年29枚目のシングル「U.S.A.」で再度、脚光を浴びた。「紅白」も16年ぶり6回目の出場を果たした。
結成時からいるのはボーカルのISSAだけだが、根気よく辛抱して復活劇を支えたのが「ライジングプロダクション」だった。1985年に設立したライジングは既成の歌謡界の殻を破るようにダンスとビートの効いた楽曲で荻野目洋子の売り出しに成功。以後、女性を中心としたダンスミュージックに本腰を入れた。1992年に「沖縄アクターズ」と協力関係を結びズバリと当たった。他の芸能スクールとは一線を画すアクターズ。マキノ正幸校長は当時、こう話をしてくれた。