独立後に芸名戦争…加勢大周は長いトラブルでイメージ悪化
1988年7月、世田谷区駒沢にある焼き鳥屋に入った芸能事務所社長の竹内健晋は、抜群にハンサムなアルバイトの少年に目を留めた。
竹内はその少年と目が合うなり、ガタガタと震えだした。25年の芸能界での経験から「これはモノになる」という直感が降りてきた。
少年は川本伸博という名の高校3年生で教材会社への就職が決まっていたが、竹内の事務所に入ることを決め、芸名として「加勢大周」と名付けられた。
最初の1年間に加勢に入ってきた仕事はCMモデルの仕事が2件。稼ぎはたったの6万円だったが、90年に桑田佳祐監督の映画「稲村ジェーン」の主役に抜擢され、運が回ってきた。
コカ・コーラのCMが決まり、次々とドラマの出演オファーが舞い込んだ。人気に火が付いた加勢は、吉田栄作、織田裕二とともに「トレンディーご三家」と呼ばれるようになった。
■裁判は逆転勝訴も…
だが、ほどなくして加勢は独立し、竹内と対立した。竹内は加勢と新事務所との契約は無効だとして、芸名の使用禁止、加勢にテレビなどへの出演禁止、5億円の損害賠償などを求め、東京地裁に提起した。