元アイドル歌手山本智美さん 金沢で社長兼ラウンジママに
同級生には元SMAPの中居正広や木村拓哉
さて石川県内灘町出身の山本さんは、小学生の頃から芸能界に憧れ、地元高校進学後、金沢市内にあった平尾昌晃サウンドミュージックスクール金沢校に入校。そして都内で開催された同校の発表会でスカウトされて上京した。
「転校したのが当時、芸能人が多かった都立代々木高校定時制でした。同級生には元SMAPの中居正広さん、木村拓哉さんがいて初めての授業が体育。とにかく2人ともカッコいいんですよ。芸能人だからカッコいいのではなく、普段の姿がカッコいい人が芸能人なんだな、とつくづく思いました」
そして高校在学中から芸能活動をスタートさせ、歌手デビューは91年5月。バップレコードから「マーメイドプリンセス」をリリースした。透明感のある声と愛らしい笑顔でたちまち人気を集め、その年の日本テレビ音楽祭新人賞を受賞。セカンドシングルは柏原よしえ(現・芳恵)が81年にヒットさせた「ハロー・グッバイ」のカバーで、こちらもスマッシュヒットした。
だがサードシングルのリリース直前、ストレスがたまると舌の付け根にある甲状腺が腫れる難病「舌根部異所性甲状腺腫」が発覚。ついには過労で声が出なくなってしまった。
「この世の終わりかと思うぐらい大ショックでした。それで一時休業して自宅療養することにしたんです」
23歳で帰郷。その後、24歳で結婚するも離婚、再婚、離婚と波瀾万丈の人生を歩んだ。今は23歳から15歳まで3男1女の4人の母親。独身である。
「病気? 完治はしないそうです。その後、下垂体前葉機能低下症という難病であることもわかり、お薬を飲みながらお仕事をしてる状態。疲れやすい体質なのはそのせいなんですが、金沢市内で、11月11日はバー『ドルフィン』、12月16日はカフェ『道草カフェ・アルプ』でライブの予定です。たった一度の人生ですから、精いっぱい楽しまないとね」
(取材・文=高鍬真之)