横浜銀蝿デビュー40周年 ファン限定「集会」をリポート
オリジナルメンバーが揃ったことについて、TAKUは「やっぱ差し歯が1本ずれても嫌じゃん」と言い、翔が「役者がそろったとか、他に言いようあるじゃねえか」と笑いを誘った。
■「時代に媚びない。好きなことをやっていくだけ」
1983年の銀蝿解散後、キングレコードに就職して制作に携わり、現在はベルウッドレコード社長のJohnnyはゴルフクラブばかり握っていたそうで、久しぶりのギターの感触を確かめるようにして「日本武道館を満タン(満員)にする夢をかなえたときみたいにうれしい」と笑っていた。
「不良だから、どんだけ練習してきたかとか言わないけど、こうして俺たち、板の上に復活することができた。全開で突っ走っていきます」
そう翔が締めると、全員が「ヨロシク」と決めぜりふを口にした。
不良、暴走族、ツッパリ。校内暴力が社会問題になり、荒れる若者が跋扈した時代を象徴するような存在だった横浜銀蝿の4人だが、受験戦争のさなか、翔とJohnnyが神奈川県で偏差値トップクラスの進学校、県立柏陽高校卒であったり、決して不良だったわけじゃない。マスコミ取材でも、カメラマンたちから「ポーズをお願いします」「もう少し寄って」などのリクエストに「はい」と応じ、取材陣に「俺たちばっか楽しんでて申し訳ない」(翔)と謙虚な一面をのぞかせた。