<5>麻雀は常に「情報処理」の能力が求められている
荘家の私としては、あがれなくても他家をオロして、連荘したいところだ。後からわかったことだが、私が「九索」をツモ切りしてたら南家がポン、混老頭の大物手が進行するという、恐ろしいことになった。
黙牌でも親満。自分の手に惚れてしまいそうだが、この「九索」が止まった。暗刻の「三筒」を一枚切り、手牌を七対子に変えてリーチ。河に見える「六索」を頼りに、南家が手牌から「九索」を切り出して、私の栄和という結末だった。
こうして牌譜を読み返すと、麻雀には情報処理の能力が求められるとわかる。いつもうまくいくわけではないが、作戦勝ちといえる私の牌譜である。