あまりの音量に隣の魚屋が出刃包丁片手に怒鳴り込んできた
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日本に新しく巻き起こったロックの潮流には驚嘆するばかりだった。しかし西荻窪ロフトの15坪の広さでは、ロック系のライブは無理だった。
翌74年、同じJR中央線の荻窪駅近くに地下の壊れた倉庫を借り受けた。「地下だから十分に音を出せる」という判断と「迫り来るロックの時代」の先頭を走りたかった。35坪の<荻窪ロフト>(写真)の天井は低く、ジメジメと暗い空間だからこそデッドで良い音を醸し出せると思った。コンソールは大滝詠一さんが作ってくれた。
ロフトとブッキング契約を結んだ長門芳郎さん(パイド・パイパー・ハウス店長)が無名の新人バンドの山下達郎さん率いる<シュガー・ベイブ>を、音楽制作会社「風都市」の前田祥丈さんが<はっぴいえんど>のメンバーを連れてきた。
この荻窪ロフトは<ティン・パン・アレー系>ミュージシャンのたまり場となった。オープニングセレモニーは、歴史的にもう二度とあり得ない一大セッションが繰り広げられた。細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫、大村憲司、浜口茂外也、小坂忠、ジョン山崎、小原礼、今井裕、ユーミン、吉田美奈子……大貫妙子は歌う場所がなくて、カウンターの中から歌っていた。