赤塚不二夫編<5>漫画家に近隣 赤塚家は来客にやさしかった
私が赤塚ファミリーの一員になった頃は、タモリも所ジョージも立川談志も超売れっ子。残念ながら赤塚家で合流することはなかったが、変わらず顔を出していたのが漫画家の諸先生方だった。トキワ荘仲間の藤子不二雄(A)氏から「あしたのジョー」のちばてつや氏といった大御所に加え、同じ漫画家でも異色の存在だったのが故・安達勉氏だった。
「赤塚門下生四天王」のひとり(他の3人は、高井研一郎氏、古谷三敏氏、北見けんいち氏)として、あだち勉の名前で漫画家としても活躍。漫画家を辞めた後は、弟で野球漫画「タッチ」の作者・あだち充氏のマネジャーを務めるなどしながらも、先生の元に来ては公私にわたりサポートしていた。
“公”の方では、先生が病気で漫画が描けない時期に「赤塚キャラクターの絵を描かせたら一番」という腕でサインなどのキャラクターをあだちさんが描くことも少なくなかった。“私”の部分は言わずもがな酒の相手。私もすぐに打ち解けた。
そんな漫画家らに交じって赤塚家によく集まっていたのが、ご近所さんの面々。昼夜問わず油を売る電器屋の社長(赤塚家すべての電化製品から修理まで担当)。大手企業勤務のエリートサラリーマンは自分の家に帰らず、仕事帰りは赤塚宅にほぼ直行していた。「独身だから夕食代助かっちゃう。おまけにお酒まで飲ませてもらって」とは言っていたが、赤塚家にとって唯一無二の「真面目な秀才」と評される好人物だった。