弟弟子の小朝が36人抜きで真打ち「師匠は伝えにくかった」
下手すれば師弟の間に亀裂が生じかねないところだが、そこは共に江戸っ子、わだかまりもなく、さっぱりとしたものだった。
そして82年、一朝の真打ち昇進が決まり、12月に披露興行が催されることになった。
「師匠は披露目を派手にやろうと張り切ってました。その矢先です。披露興行の直前に脳梗塞で倒れた。半身不随で口がきけない。寝たきりになっちゃった」
なんという悲しい巡り合わせであろう。柳朝と一朝の心中、いかばかりか。
「真打ち披露興行の口上に自分の師匠が並ばないのは寂しいもんですが、協会幹部の師匠連が代わりを務めてくれました。中でもありがたかったのが談志師匠の口上です。『あたしは一朝の芸が好きです。一朝という人間も好きなんです』と言ってくれた。その情にあふれた口上に、泣いてる客もいました。横で頭を下げたままのあたしも、涙がこぼれそうになりました」
談志ウオッチャーの私でも、そこまでほめた口上は聞いたことがない。そういう温かい情のある師匠だったのだ。=つづく