五木ひろしの光と影<28>レコ大をめぐるナベプロvs野口プロの熾烈な戦いは「文字通り戦争」
「テレビのキャスティングは、中ヤンの一存で決めてもらって構わない。数字のいい番組にバンバン入れてくれ。事後報告でいいから、好きにやってちょうだい。任せたよ」
当時のことを中邑はこう振り返る。
「野口さんって、確かにワンマン経営者でありましたけど、実に合理的な人でした。野口プロは格闘技の事務所ですから、やっぱり芸能のキャスティングが弱点なんです。だったら、外部の人間でも強いやつに任せればいいという柔軟な発想の持ち主。賞レースって、事務所とレコード会社の足並みが揃ってないと戦えないんですよ。その辺の本質をあの人は肌感覚でわかっていたように思います」
渡辺プロダクションと野口プロモーション。何から何まで対照的な2つの芸能事務所が「日本レコード大賞」をめぐって、熾烈な戦いを繰り広げていた。「文字通り戦争でした」と中邑は言う。
程なくして、「中盤戦の天王山」といえる戦いを迎えた。1973年11月20日。1970年に新設された「日本歌謡大賞」、いわばレコ大の前哨戦である。 (つづく)