高田ぽる子が語る メイド喫茶でバイトしていた北海道時代とお笑い芸人を決意するまで
年1度のオーディションにはいろんなプロダクションの方が見にきていて、1年でも2年でも出てみたんですけど、1年の時はまだ俳優になりたい気持ちが強くて。
でも、2年で出た時には俳優への気持ちが冷め始め、見に来ていた今の事務所のマネジャーに「君は芸人でもいいと思うけどね」と言われ「俳優より芸人いいかもしれない!」と(笑)。それが19年の初めでした。その年の卒業後にすぐ上京。でも、そこからはさらに貧乏で! 今の事務所に入るためにはオーディションに通わなければならず、オーディションと印刷会社でのバイトの日々。
「駅が近い部屋がいい」と不動産屋さんに伝えると、勧められた物件が日暮里・舎人ライナーの舎人駅。家賃4.6万円で安かったし、駅から徒歩30秒で「すごくいい!」と最初は思ったけど、舎人ライナーで行き来する交通費がすごくかかってしまって!
仕事はブルーライトが私は苦手で、キツかったので、しばらくして辞めてしまいました。だからお金は常になかった。
■乳首ネタでR-1決勝に出られて夢見心地