「baseよしもと」のオーディションは落ちまくり…「これでダメなら宮崎へ帰ろう」と最後の勝負
2002年にとろサーモンを組んだものの、最初はなかなかうまくいかんかった。当時大阪の若手がまずめざしたのが「baseよしもと」の舞台。吉本芸人の層の厚さはハンパじゃなくて、舞台に立つには何百組もいる中からオーディションに受からなければならないんやけど、僕らはそのオーディションに落ちて落ちて、落ちまくった。
もう毎回泣いてましたよ。手を替え品を替えネタを変えたけど、もう何をしても無理。それでも相方と「1年間だけは何があっても頑張ろう」と決めてたから歯を食いしばって続けました。僕は喫茶店のバイトすらマトモにできずにクビになってたような人間ですが、そんな人間に最後に残されてた希望がお笑いでしたからね。
それでも自分たちで決めた1年の期間はあっという間に過ぎていきました。最後のオーディションの前には相方と「これがダメだったらもう宮崎に帰ろう」って話し合って、確か帰りの飛行機のチケットも取ってた気がする。
最後の最後のつもりで受けたオーディションでようやく通ってから、ガラリと運気が変わりました。舞台の出番がもらえるようになって、大阪のテレビからも声がかかり始め、そこからはトントン拍子にいき始めた。