木久扇師匠に「どうしてうちに来たの?」と聞かれ「家が近いんで」と答えた
林家彦いちは、春風亭昇太が三遊亭白鳥、柳家喬太郎らと結成したSWA(創作話芸アソシエーション)のメンバーである。実体験を落語にした「スケッチネタ」に定評があり、寄席でも人気が高い。また、落語界きってのアウトドア派としても知られる。
今回は新作を創る苦労談、仲間たちの逸話、アウトドアの話などを語ってもらった。まずは近年の活動状況から。
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「SWA以外では、渋らく(渋谷ユーロライブでの落語会)で、若手を集めて『しゃべっちゃいなよ』を主宰してます。漫談でもいい、とにかく、高座でしゃべりたいことをしゃべる会で。それと、白鳥さん、(桃月庵)白酒さんとの『落語三銃師』を全国展開してます」
1969年、鹿児島県北西部の島、長島町に生まれ、国士舘大学に進んだ若者が、どうして落語家になったのか。
「落語は速記本を読んで知ってたくらいでした。文学部地理学科に入ってから、末広亭に通うようになって、就活をしてる最中に、木久扇師匠(当時は木久蔵)を見たんです。師匠の高座は、落語というソフトでなく、それを動かすハードなものを感じて、この師匠の弟子になりたいと思いました。すぐに芸能名鑑で師匠の事務所を調べて、地図を買いました。なにせ、地理学科ですから(笑)。事務所を訪ねて連絡先を書いておいたら、後日マネジャーさんから電話があって、師匠が会って下さるという。いざお会いすると緊張して、『どうしてうちに来たの?』と聞かれた時、『家が近いんで』と答えてしまいました(笑)。それでも師匠は怒りもせずに、弟子入りを許してくれました」
89年当時の木久扇門下には、亡き師匠、彦六からの預かり弟子の時蔵と、女流のきく姫がいた。
「きく姫姉さんの見た目が部活の後輩みたいで、姉弟子という感じはしませんでしたね。今みたいに前座の数が多くなかったから、見習い期間はひと月だけで、すぐに名前を付けてもらえて、楽屋で働くようになりました」