「量」が絶対的担保として表現者の「質」の評価となった時代への挽歌
こんな犬も食わぬノスタルジアをなぜ延々と披瀝したかといえば、けっきょく大型連休は一冊の本をじっくりと読みながら過ごし、その視座に少なからず共感を抱いたから。異能の保守思想家・福田和也の新エッセイ集『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』である。
同書は、2020年の暮れにサンデー毎日で始まった不定期連載「コロナ禍の名店を訪ねる」をまとめて加筆したもの。著者の近影を見てその痩せように言葉をうしなう人もいるだろう。80キロを超えていた体重は30キロ以上減ったらしい。連載時にリアルタイムで読んで2年あまり経ったエッセイを、コロナの感染症法上の位置づけがインフルエンザと同じ5類に移行する直前に再読するのは、なかなかに滋味深い。この2年半に世界とこの国で起こったことを思いだしてみると、少々計算が合わないという錯覚にとらわれるほどだ。
■書名からすばらしい
まず書名がすばらしい。著者の主張を語ってこれ以上のものはないのでは。このフレーズが大正生まれの保守論客だった福田恆存が生みだしたアフォリズムであることは、本の前半で早くも種明かしされる。重要なのはこのすぐれた箴言が著者と坪内祐三を結びつけていたという事実だ。