「量」が絶対的担保として表現者の「質」の評価となった時代への挽歌
本連載でもくり返してきたように、政治的にリベラルと分類されがちなぼくも、いち消費者としてはかなり保守寄りと自認している。石原慎太郎への評価をはじめとして、福田さんの言説には首肯しかねる部分が多いけれど、彼のすすめる店は驚くべき高確率で旨いんだよなあ。舌の感覚によせるものほど大きな信頼がほかにあるだろうか、と思わせるだけの説得力がある。
上野の蕎麦屋「蓮玉庵」の暖簾前に佇む痩躯の著者。表紙写真に選んだ意図を読み解くなら、この本は量(クオンティティ)が絶対的担保として表現者の質(クオリティ)の評価となった時代への、著者なりの挽歌でもあるのだろう。メロウ。