人気落語家 柳家さん喬に学ぶ“笑い”の流儀…「落語でも間が大事。間は呼吸です」
人気落語家の柳家さん喬師匠が自身の「仕事論」ともいえる「柳家さん喬『笑い』の流儀」(ビジネス社)を上梓。本書の編集協力を務めた売文家の甘粕代三氏が読みどころを解説する。
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含羞の江戸落語第一人者が初めて人生、そして落語を語った。その語り口は高座と同じく羽二重のように滑らかにして時にしんみりとした涙、時には腹の底からの笑いとともに噺から風景が眼前に現れる、あのさん喬の世界に誘われる。
敗戦の爪痕残る東京・本所吾妻橋の乾物屋次男坊に生まれた稲葉稔少年は学芸会で主役を張りたくても、周囲から水を向けられなければ手を挙げられない引っ込み思案の目立ちたがり屋。幼いころから演芸に親しみ、三木のり平、八波むと志ら喜劇役者に憧れる。そして落語番組のクイズにラジオを前に解答したところが見事に正解。落語の世界に興味を持つ。
■5代目柳家小さんに入門
大学紛争に揺れた時代、進学か否か悩む高校生は父の店の常連が贔屓だった縁から、後に落語界初の人間国宝となる5代目柳家小さんの門を叩いた。
「『噺の稽古をするから来い』と言ってもらったことはありません」と師匠を振り返る。「芸は盗め」「芸を磨くより人を磨け」が座右の銘だった師匠から稽古をつけてもらった噺は前座噺の「道灌」だけ。稽古は来る日も来る日も剣士小さんのヤットーの相手だった。
さん喬自身も三段となるが、剣道が「落語の基本精神を教えてくれた」「落語でも間が大事。間は呼吸です」と心得るに至る。