人気落語家 柳家さん喬に学ぶ“笑い”の流儀…「落語でも間が大事。間は呼吸です」
分裂騒動では「自ら協会を出る!」と
6代目三遊亭円生の起こした落語協会分裂騒動の際に小さんは「自ら協会を出る!」と円生に伝え、さん喬はこれを耳にしていったんは喜んだ。小さんの一言は当時一門だけでも興行が打てるほど最大勢力だったことの裏返し。先代入船亭扇橋、小満ん、小三治ら小さん山脈、他門に稽古をつけてもらうことに寛容だったため古今亭の噺は先代円菊らから噺家としての気概、了見とともに学んでいく。
■テレビ嫌いのレッテルの真相
時あたかもテレビ全盛時代、番組を持ちリポーターとなって売れに売れる噺家が続出した。「誰だって売れて生活もよくなりたい」「テレビに出て人気者にならねば」という気持ちがあったと正直に告白する。しかし「『さん喬は、テレビに出ることを嫌っている』ってレッテルを貼られたんです。『オファーがないだけだよ』って話なのですが……」と韜晦する。
その一方で「先代の林家三平師匠という超人気タレントがいてくださったおかげで、世間さまがいまだに爆笑が取れる芸人=落語家として記憶にとどめてくださっています」「落語という芸を後世に伝えていく大きな連結器となってくれた」と感謝するのはまさにさん喬の了見であり人であろう。