人気落語家 柳家さん喬に学ぶ“笑い”の流儀…「落語でも間が大事。間は呼吸です」
滑稽噺が面白くなくては人情噺も面白くない
「さん喬はテレビが嫌い、ゆえに落語一本でいくしかない」と見られていたが、売れたいと願わない芸人はいない。その懊悩の末に落語という「マイナーな場所にいてもメジャーな立場にいたい」との目標を抱く。柳派は落とし噺、滑稽噺が大看板。小さん山脈、他門の兄さん方から噺を習い切磋琢磨の末、マイナーメジャーに一席、一席近づいていく。
今では落語界の浅田次郎よろしく人情噺、泣かせの名手とうたわれるが、それは偶然の産物。NHK新人落語コンクールで落選した直後、審査に当たった8代目林家正蔵が師匠小さんに言った「さん喬には人情噺仕込んだ方がいいんじゃないか」の一言がきっかけだった。「文七元結」を習うと好評で、TBS落語研究会からも6代目円生系人情噺ばかりのご注文、これがことごとく受ける。しかし「少々ニーズに応えすぎたなって反省する部分もなきにしもあらず」「滑稽噺が面白くなくては人情噺も面白くない、これが落語、いえ、噺家の基本だと思います」と落とし噺への思いは熱く深い。そして、小さん得意の「世の中では落とし噺だとされている師匠の『うどん屋』も、実は人情噺」と考え、小さんに自身の集大成は「うどん屋」ではないかと恐る恐る尋ねる光景は本書の白眉の一つである。
海外での日本語教育の一環として海外での口演も数多く手がけた。「芝浜」の口演後、芝の浜を見たこともない米国大学生から「師匠、海が見えました」との感想を聞かされる。そこで落語は詳細に描写することではなく委ねる芸であることを思い知らされる。それは小さんの「『うどん屋』などでも細かく描写することは絶対にしませんでした。とことんお客さまに委ねるやり方だった」という芸の奥義に触れる。
人情噺、滑稽噺ともメジャーメジャーと評されても、小さんから言われた芸の奥義「守・破・離」の「離」には至らないと彷徨を続けるさん喬は新作古典の新境地に挑む。芝居を通じて知り合った中大教授・黒田絵美子を作者に得て20作以上。昨年11月には2日興行の1日を黒田新作古典だけを口演する「さん喬あわせ鏡」も始まり、今月第2回を迎える。
「鶏鍋を煮込みすぎると脂が浮いてきて、フタのようにギトギトと具を覆ってしまいます」「やはり新鮮なまま、鍋の醤油汁の方で若手と混ざり合っていたい」と望む後期高齢者は「ことあるごとに『頭の中が真っ白になったらどうしよう?』」という不安に駆られ、今日も高座に臨んでいる。
滑稽噺、人情噺と黒田新作古典の速記も読ませる、泣かせる。
▽甘粕代三(あまかす・だいぞう) 1960年、東京は大川端生まれ。幼いころから芸事好きで、大学に落ちたら初代三平に弟子入りすると決意し浪人。そのさなか初代三平に死なれて噺家の道を諦め新聞、テレビの世界へ。それもケツ割って天下の素浪人。中国、香港、台湾の時事問題、競馬評論で余命をつなぐ。