湯原昌幸さんが今もクリフ・リチャード「ダイナマイト」を歌い続ける理由
まさかだった「雨のバラード」の大ヒット
でも、1970年には解散して僕はソロデビューすることになる。そのころ歌ったのが植田さんが作った「雨のバラード」。そもそも「雨バラ」はスウィング・ウエストのリサイタルの時に新曲が1曲しかできないというので植田さん自ら作った曲でした。
そんな経緯だから、まさか120万枚のヒットになるなんて思ってもいませんでした。歌謡曲なのにクラシックのにおいもある難しい曲です。当たるか外れるか、ホームランか三振か、どっちかです。それが銀座アシベで歌っているうちにリクエストが急に多くなって大ヒットするわけです。
後から考えたら「雨バラ」は僕にとっては天から降ってきたみたいな曲だと思います。ここでクリフ・リチャードとリンクするんです。「ホイホイ」で「ダイナマイト」を歌ったことでナベプロ、東洋企画、スウィング・ウエスト、そこから「雨バラ」とつながった。いわば運命のようなもの、偶然とは思えないんです。
クリフはイギリスのプレスリーと言われていたけど、本人は気持ちよくロックンロールをやっていただけだと思います。僕がデビュー前から「ダイナマイト」を歌っていたのは、そんなクリフと世界観が自分に合っていると感じていたからです。声質がソフトタッチで、気持ちよくロックンロールしている。ウィスパー唱法で囁くような低音がキレイ。心地よいポップスだと思っていました。
「レッツ・メイク・ア・メモリー」「ヤング・ワン」「ラッキー・リップス」といった曲もよかったけど、その中でも、やっぱりロックンロールでシャウト型、ミディアムポップの「ダイナマイト」はクリフの中では突出していい曲だと思った。とてもしっくりきたし、世界観が「雨バラ」とも重なっていると思う。