本人の感性を追い越すようなスピードで賽は投げられた
これまで4回に分けてシングル「TOKIO」のサウンドと歌詞について見てきた。では、曲そのものではなく、曲に対する沢田研二の当時の気分はどのようなものだったのか。
ひとつの手がかりがある。島﨑今日子「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」(文芸春秋)の中に、後述するアル…
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