「清原逮捕は甘やかしが原因」の声に西武元球団幹部が反論
一躍、ライオンズ最大のスター選手となり、年俸面などで優遇されていたことは否定しません。どんどん給料が上がり、当時の史上最年少で1億円プレーヤーになったのは5年目のオフ、23歳のときです。高級外車に乗り、夜の繁華街での武勇伝が耳に入るようにはなりましたが、決して球団が放任していたわけではありません。
根本陸夫さんが93年にダイエー監督に転出するまで、球団の管理部長としてニラミを利かせていましたからね。「球界の寝業師」の異名をとった根本さんは、あらゆる業界に人脈を持ち、多方面に独自のアンテナを張り巡らせていました。選手がどんな店に出入りし、どんな人間と遊んでいるか。ほとんどすべてを把握し、ちょっとでもトラブルになりそうな危険を感じると、個別に自宅に呼び出しては、厳しく注意をするような人です。当然、清原にもそうで、「タダ飯とタダ酒は絶対にするなよ。借りはつくるな」と何度も言い、球界外の人間との付き合い方を口うるさく指導していたものです。
グラウンドでは、当時の森監督が4番打者の心構えを説き、行き届かないところは黒江ヘッドコーチが厳しくフォローしていました。特に嫌われ役を買って出た黒江ヘッドは清原を特別扱いすることは一切なく、むしろ何かあると一番に叱責していました。