「言葉が出ない…」 髙山善廣さんが脳梗塞体験を語る
その後のこともよく覚えています。まず、血栓融解剤を点滴されて、頚椎のMRI検査をしました。筒状の検査器に吸い込まれながら、“火葬されるときってこんな感じなのかな”と思ったくらい冷静でした。検査後は、医師に「頚椎の損傷はないけれど、脳の血管が詰まっているので脚の付け根からカテーテルを入れ、詰まった血管を広げる手術をします」と言われました。
運ばれるストレッチャーの上では、心配する関係者に右手でVサインを出したのですが、そのときはもう手だけではなく右半身が麻痺していた。手術室でモニターに映る自分の頭の中を見つつ、麻酔が効いて意識が遠くなっていきました。
「終わりましたよ」と起こされて、手術室から出ると心配そうな関係者の顔が見えました。“大丈夫”の合図のつもりで無意識に右手を上げたら、みんなが歓声を上げたのも覚えています。倒れてからわずか2時間での手術完了。3時間以内なら後遺症は最小限に抑えられるとあって、医師からは「強運ですね」と言われました。
今から思えば、前兆はたくさんあったんです。倒れる1カ月前の試合で急に右足がカラ足を踏んだような感覚になったり、別の時には動悸もありました。でも、すぐに治るんです。それから、妙に日差しがまぶしくて、目の奥がチリチリしていました。当時、オゾン層の破壊が話題になっていたので、そのせいだろうなんて考えていたんですが、破壊されかけていたのは自分でした(笑い)。