「言葉が出ない…」 髙山善廣さんが脳梗塞体験を語る
脳梗塞を経験するまでは、「何があっても俺は大丈夫だ」とタカをくくっていました。でも、やっぱり俺でも、何かあれば大丈夫じゃないんだなと思いましたね(笑い)。
倒れたのは2004年8月8日、大阪府立体育会館での試合後のバックヤードでした。試合には勝ったのですが、試合後のインタビューで言葉がうまく出てこなかったのが悔しくて、「今日はしゃべりがイケてなかった……」と落ち込んでいたんです。
その後、差し出された懸賞金を受け取ろうとして右手を出したら落としてしまった。で、拾ってもらった懸賞金を左手で受け取って、右手でドアを開けようとしたら、今度はドアノブがつかめない。誰かが開けてくれたドアから出て、そこにあった長椅子に座ったら、体がだんだん横に倒れていくんです。
さらに、しゃべろうとしても、ろれつが回らない。日頃からそういう“ドッキリ”をよくやるタイプだったので、初めはみんな冗談だと思ったようです。でも、そのうちに医療班が飛んできて、救急搬送されました。
担架に乗せられてからものの数分で病院に着いたので、“こんなに早く着くはずがない。いよいよ頭もおかしくなった”と思いました。でも、運びこまれた富永病院は、大阪府立体育会館とは目と鼻の先。しかも、運のいいことに国内トップレベルの脳神経外科で有名な病院だったんです。