世界一有名な画家ゴッホの奇行に唱えられる「梅毒説」
ゴッホは1853年にオランダの牧師の家で生まれます。一風変わった子供で癇癪持ちなうえ、ひとりでぷいと遠出する癖があり、一日中昆虫やや空を眺めて過ごすことがあったと言われています。
16歳で美術商の伯父が経営するグーピル商会に勤めますが、その後に解雇されます。直接の理由は取り消されていたクリスマス休暇を勝手に取ったからということですが、日頃から娼館通いなど素行が悪かったことが影響したと言われています。そこで補助牧師を目指すのですが、これも人間関係のトラブルなどで挫折。ようやく画家になることを決意し、個人的に絵を習ったり、美術学校に行ったりします。
1886年にはパリに移住し、弟と同居しながら本格的に作品を描きます。そして2年後の1888年に画家の組合を作ることを目的に、南仏のアルルでゴーギャンと共同生活を始めます。しかしすぐに不仲になり、わずか2カ月で共同生活は破綻します。直接の原因は前述の「耳切り事件」でした。
ゴッホの死後、彼の言動や作品を病気によって説明しようとする試みがなされ、いくつかの説があります。ひとつは「双極性障害」です。そう状態とうつ状態があらわれる病気です。ちなみに「世界双極性障害デー」はゴッホの誕生日である3月30日に設定されています。