平穏で温かい思いや感謝の気持ちが伝わるみとりだった
無愛想で偏屈なところは昔からで、店番をしても武士の商法で不機嫌に客をあしらうこともあったといいますが、幸い愛想のいい奥さまがそんな夫を支え、店をもり立ててこられました。奥さまは20年前に亡くなり、遺骨はいまだお父さまの部屋に。「自分が死んだら好きにしていい」と言っているそうです。
そんな患者さんも、もともと入院前にはかくしゃくとして近所の将棋クラブへ通い、駒を戦わせていたそうですが、退院後にガクッと足腰が弱くなり、外出もままならぬようになっていきます。
ですが足腰を鍛えるリハビリや、肺活量を鍛える発声練習も積極的にやる気配はありませんでした。
ひ孫の成長を穏やかに見守る日々。ある意味、達観した療養生活といえるものでした。やがて徐々に食事の量が落ち、昨年秋にはベッドで寝ている時間も長くなりました。それでも栄養を取るためのさまざまな手段を選ぼうとはしませんでした。
我々もそんな患者さんの思いを尊重しながら在宅医療を続けていきました。
それが昨年の11月のある明け方に、娘さんをコールボタンで呼び出し、水を一口飲まれ、静かに息を引き取られました。