鳥羽伏見の戦いで惨敗 「武家政治」を終わらせた徳川慶喜
最後の征夷大将軍・徳川慶喜をひと言でいえば、歴史主義者でしょう。
「後世、自分はどう評価されるか」だけを念頭において行動したところに、彼の真骨頂があったように思われます。
慶喜は御三家の一で“天下の副将軍”と称された水戸藩藩主・徳川斉昭(烈公)の七男として、天保8…
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