敵は鎌倉幕府、足利尊氏“天皇親政”のために闘った後醍醐帝
日本の政治は、大化の改新(645年)以来、いつしか象徴としての天皇と、実権を握る帝の代行者による、二重構造の支配体制になってしまいました。天皇も国政に責任を負わされないことで、これを良しとした側面があります。
ところが、ときに天皇自身が政治を行いたい、と言い出すことがあ…
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