【東京佐川急便事件】異聞(30)「右腕一本落とすような話だ」佐川清は堰を切ったように渡辺批判を始めた
筆者は、佐川清にも一度だけ取材している。
週刊朝日の山本朋史記者から、京都で佐川清に会えることになった、一緒に取材に行かないか、と誘われたのは1991年7月中旬のことだった。山本は知る人ぞ知る敏腕記者。筆者同様、毎日から朝日への移籍組だが、駆け出しの支局時代にトラバーユ…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,172文字/全文1,312文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】