五木寛之「流されゆく日々」祝12000回 ギネス更新中
「流されゆく日々」は今、並べたような時事的な出来事を追うわけではない。むしろ、そんなことは関係ないさ、とばかりに五木さんの日々の“記憶”がときに生々しく、ときに淡々とつづられていく。
過去の連載は何冊かの本にもなっている。それをめくっていたら、77年の暮れの号にこんな文章があった。
<この『流されゆく日々』の連載も、いよいよ、一九七七年の最後の回になった。毎日、改まって机に向かうというのではなく、その日その日の実況報告みたいな形で、排泄作用みたいに吐き出した言葉の雑然たる積み重ねを振り返ってみて、いつの間にか、大変な量になっていることに驚かされる>
連載2年目にして、著者自身が驚かれている。そして、95年には連載をまとめた最初の本が出て、そのまえがきで五木さん自身がこう書かれた。
<それにしても、この激動の二十年間をとりあえず中途で放り出すことなく続けてくることができたことは、一種、奇跡のような感じすらする>
20年間で奇跡なのだから、半世紀はどう表現すればよいのだろうか。