大王製紙 井川意高元会長(1)106億円をカジノで溶かした超秀才の少年時代
ニューヨークにいたのは半年足らず。その後は西海岸のオレゴン州ノースベンドに移った。
「父が渡米した目的は製材廃材を仕入れるルートをつくるため。米国では捨てられる廃材でもパルプの原料になるのです」
■敷地1200坪の邸宅の庭で三角ベースをした少年時代
2年半、米国で過ごした後、日本に戻り、大王製紙四国本社がある愛媛県伊予三島市(現四国中央市)の邸宅で暮らし始めた。敷地は1200坪。祖父である創業者・井川伊勢吉氏が1937年、長男・高雄氏が生まれる時に購入した。
「まだ宇摩郡三島町と呼ばれていた時代で、それほど高い買い物ではなかったようです。とにかく広かったので、友だちもよく遊びに来て三角ベースをしたものでした」
小学校低学年の頃は遊びに熱中して、机に向かうことも少なかった。それでも成績は学年200人中、常にトップだった。のんびりとした生活が一変するのは4年生の夏休み。
それまでも正月と夏休みは家族で東京に出て、帝国ホテルにショートステイするのが定番になっていた。そこを拠点に、いろいろなところを回るのだ。その日も父に連れられて外に出ると、行った先がなぜか大手進学塾の代々木ゼミナール。いきなり模試を受けさせられた。