大王製紙 井川意高元会長(1)106億円をカジノで溶かした超秀才の少年時代
「即日申し込みできるわけがないから、前もって準備していたとしか考えられない」
井川家では父の言うことは絶対。面食らいながら試験に臨んだ井川少年だったが、結果は全国2位。この段階で、父親は息子に中学受験させることを決めたようだった。四国に戻ると、若手社員の中から優秀な人材3人を選び、週に3回2時間ずつ、井川少年の家庭教師をさせたのだ。さらに春・夏・冬休みは東京の塾で集中講義を受けさせられた。
「父は私に東大に行けと命じた。官僚になって政治家を目指せと」
小学校6年の2学期の終わり、家族は東京に引っ越した。73年のオイルショックで紙不足が起こり、製紙各社は売り上げが急伸したが、その反動で翌年から業績は一気に下降。営業の立て直しに父・高雄氏が東京に出ることになったのだ。(つづく)
(ジャーナリスト・田中幾太郎)