昭和19年7月 岡田啓介ら重臣の包囲網で東條内閣は倒れた
東條内閣打倒の動きは、いくつかのルートで活発化したのだが、もっとも力を持ったのは海軍の長老ともいうべき存在で、重臣(首相経験者)でもあった岡田啓介であった。岡田は2・26事件当時の首相で、青年将校の襲撃を受けたが、とにかく命は永らえた。岡田はこの年2月の東條首相・陸相の参謀総長…
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