西園寺公望や牧野伸顕は軍事一本の外交路線と対立した

近衛文麿がこの代表団に加わったのは元老の西園寺公望がその将来に期待をかけているためであった。天皇制下の日本が軍事や政治のバランスを保って歩んでいくには、天皇に近い公家華族の側近が必要であった。さしあたりは西園寺がその役を務めているにせよ、昭和天皇の代になったなら、近衛がその役を…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り897文字/全文1,038文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】